UCLA入学後の軌跡
この度、有難いことに今学期とっているクラスのうちの一つ【AF AMER176】でNotetakerに選ばれました。
AF AMER176はAfrican American Studiesの略でRace, Racism, and Lawをテーマにしているクラスです。アメリカの歴史を通じて、人種問題は常に法律と結びついており、人種差別という概念は様々な法的施設(特にthe United States Supreme Court)でさえも柵となっていました。
その為アフリカ系アメリカ人公民権運動(1950-1960年代頃)前後の最高裁判所が
下した主要な判決例を元に法の解釈を深めています。
また入学直後からUCLAでGPA3.5以上の成績を取得している方のみが入れるHonors Programにも参加させて頂いており、米国でのインターンシップやコネクション作りなどにも有利に働くことができています。
この投稿を通じ、続ける力と行動する力の大切さを読者の方々にも伝われば幸いです。
中学から高校までの学力
私自身が日本・海外の大学受験時に勉強法などがわからず、多くの方のブログや本に
目を通してきた。しかし正直に言うとそういった筆者の方達は、
ある程度の基礎学力が既にあったり、もしくはどれ程勉強ができなかったのかの説明や証拠不足に感じた。なので信憑性に欠けたり自分が実行するのには程遠い差があった。
そこで私は以前からブログや本などを書くときには、指標となる物を示したいと思っていた。
中学
中学の頃は何だかんだで目立ちたがりで入学してすぐにヤンキーデビューをしました。
都内では荒れていた中学校で、学校内で花火をしたり、物を壊したりなどの揉め事が 頻繁に起きて警察を呼ぶ事態などの問題になっていました。
非現実な毎日だった為、学校を休んでは友達の家で屯したり遊んでばかりでした。
バチが当たったのか小学生の頃の交通事故の後遺症が発生し脚延長手術を受け、
半年間ほど入院生活を送っていました。
その後もリハビリなどで学校に通うのが億劫になり、一時期は不登校になりました。
その為、義務教育の内容が儘ならない状態で高校受験に挑みました。
私の高校は各100点満点の国語・英語・数学の3教科合計で150点をとれば合格でした。その為、受験時には一つの私立高校だけに絞り過去問の傾向を調べました。
苦手な英語や数学などでは全問題で選択肢Aで答えると30点を取れる事がわかり、
得意な国語で90点以上を狙うという戦法で受験し、無事に合格する事ができました。
高校
私は底辺私立校に通いながらも、父が望んでいた
Ivy League schoolsの内のどれかに入ると周りに豪語していた。
Ivy League schoolsとは以下のアメリカにある超1流名門大学の総称である。
- Brown University.
- Columbia University.
- Cornell University.
- Dartmouth College.
- Harvard University.
- Princeton University.
- University of Pennsylvania.
- Yale University.
下記のものは、私が高校時代に通っていたとある個人塾の模擬試験の結果で、
一番下に一際目立つ×印と赤で囲まれているものが私の成績である。
入塾から半年後には113点を取ることができたため、個人的には満足していたが
ご周知の通り、このレベルでUCLAなどへ入学するのは不可能でした。
そこで私は都内にある某語学学校へ通ったのだが、課題から授業まで全てが英語で
行われていた為、当時の私には荷が重すぎてGPA0.00を取ってしまった。因みに、
Fと言うのはAmericaで使われている成績システムの内のFailedを省略つまり、
全てに置いて落第していたのである。笑
そんな私でも這い上がりつつあるので、皆さんには絶対に諦めないで欲しいです!
弁護士への志
The Rule of Three
UCLA編入後の私は迷走しており、久しぶりに父に連絡をとり人生相談をしてみた。
父の働いている企業では3日・3週間・3年の法則があるとのこと。
"人の印象は3日で固まり、3週間で評価が決まり
3年経ったら結果を残す"
逆に、3年かけても結果を残せなかったら次に進む方が吉とのこと。
つまり父が私に伝えたかったのは、ある程度の期間を真剣に取り込む姿勢の大切さ
私には3に纏わる思い当たる節があった。その気になれば多くの人とは、3時間もあれば
仲良くなる事ができるのだが、3週間以内には連絡を取るのをやめてしまい、
3ヶ月後には関係を切っていた。
主な米国弁護士になりたいと思った3つの理由
- 今まで交通事故・リーストラブル・衝突事故・傷害事件などに巻き込まれた事
- アメリカのdebatingの授業で教授に初めて褒められ弁護士の道を勧められた事
- 自分の価値観と法に基づきながら人の役に立て人のために働けるという事
日本の弁護士資格ではなく米国弁護士を志す理由としては、英語という言語に
0から真剣に取り組んできた為、自分の武器にしたいと思うから。また昨今とは違い、
国際化が進み米国弁護士の需要が日本でも増え活躍の場が増える為。
私は日本という国が好きで、行く行くは日本と海外との架け橋的な存在になり、
日本の活性化に携わりたいとも考えています。
私なりに初めて考え出した答えだが固執せずに、これからの様々な可能性や経験を基に
学業に真剣に打ち込んでいきたいと思います。
これまで、これから。
このブログは、過去の出来事やこれからの日々と目標を綴っていこうと思い
開設したものです。
留学に対する質問や不安があれば誠心誠意の対応が出来るよう心掛けていきますので、御気軽にコメントもしくはメールの方にご連絡ください。
---------------------------------------------自己紹介---------------------------------------------
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アルゼンチンで誕生
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小学生の頃に交通事故に逢う
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ヤンキーデビュー
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底辺私立高校へ
- 高校入学後すぐに一週間の停学
- Esportsにて日本準優勝多数
- 製菓の専門学校へ
- 語学学校へ → GPA0を記録
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University of California Los Angeles(UCLA)入学 → GPA4.0
- 某大手外資系コンサルの筆記試験(難易度・倍率ともにトップクラスで、9割程度の学生がここで落ちるといわれています)突破し2019/06から面接へ
- また多数のビジネス経験やコンサルティング会社などでのインターン経験あり
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中学と高校の成績は学年最下位を低迷していました。
また、語学学校ではGPA0を取っていた私ですら、名門大学と言われるUCLAへ編入する事ができた為
読者の方には、僕の経験から思う以下のことに少しでも共感して頂けると嬉しいです。
- 諦めない心
- 行動力
- 続ける努力
- 腐ってもやり直す精神